前回の、仙台までの徒歩旅に引き続き、「日光東照宮にお参りに行く」という目的で、日光を目指すこととした。
Googleによると、日本橋から日光東照宮まで単純な計算で、133km。当然、これは拡張された散歩でしかないので、寄り道などして200kmほど歩くのではないか。
計画ルートは以下:
平井(自宅) -> 日本橋 -> 北千住 -> 草加 -> 春日部 -> 古河 -> (ちょっと行きたい場所あるので寄り道) -> 小山 -> 鹿沼 -> 今市 -> 日光 -> (おまけ) 宇都宮
というルート。今回は、前回の反省を踏まえ、かなりゆっくり進んでおきたい。また、今回は前回の仙台旅のようにベースキャンプは作らず、家から歩きたいときに行くことにする。
小山までは普通に、奥州街道と同じ。小山から宇都宮を通り、日光に行くルートもあるのだが、Wikipediaによると
徳川幕府の将軍家が日光参詣する折には、江戸城下の本郷追分から日光御成街道を通るのが通例であり、幸手宿までの区間は日光街道は使われておらず、また小山宿以北は日光街道だけでなく、壬生道および日光例幣使街道を経て日光へ至る経路も併せて用いられており
との事なので、日光例幣使街道というルートと同じような道を進むようだ。この街道については、2冊ほど本を借りたので後々調べておきたい。学校の歴史の授業に対する興味皆無だった過去の自分に、いろいろ言っておきたいことが多い。。。
1日目。4月24日。この旅は「江戸に住む旅好きの青年(?) が、ちょっくら日光行ってくる」という設定なので、思い立った日に家を出た。平井の白鬚神社で、「ちょっくら旅にでてくるぜい」という挨拶と安全祈願を行い、江戸川区を脱出。
この日の天気は曇り。あまり長い時間歩くつもりもなかったので、一通りの家事を済ませ昼ごろに出発。1日目は日本橋で止める予定。
国道14号(京葉道路)のキロポスト。まずは、この距離を0kmにすることから取り掛かる。
団地には子どもたちの声が響き、鯉のぼりが泳ぐ。
錦糸公園では、お祭りをやっていた。 The George Holokai Lei Aloha Festival というハワイアンな文化交流イベントをやっていた模様。すごい人の数だった。フラダンス的なものを踊っているお姉さん、オバちゃんが沢山いた。また、ビールが美味しそうでここで今日は止めてビールでも飲むか。という誘惑が襲ってきた。とりあえず、通りぬけ進む。
よいフォントだった。
国技館は、今の場所とは違う場所にあるんだってさ。へー。そしてありがちなことに、東京の建物は火災によく巻き込まれる。なかなかカッコいい建物だったようで、残念ながら今は東京都の建物になっている。1983年に解体されたそうな。うーん。残しておいて欲しかった。東京にある建物が結構な勢いで立て直しとかになっていたりで、(自分は見たことないんだけど)寂しい限りです。
「新世紀風味」という一口餃子。どうやら、店の名前が新世紀というだけで、新しい世紀の味がするわけではないらしい。
大伝馬町には、蔦屋重三郎の「耕書堂」の跡が残っている。今で言う、プロデューサーまでやっちゃう出版業者だったようだ。寛政の改革によって、出版統制が激しくなり財産没収されたりしたが、その後も生涯、出版業をやっていったそうな。TSUTAYAは、蔦屋のようになるという思いを込めてその名前にしたとのこと。
そして、あっという間に日本橋。日本橋の橋の上には歯車を持った獅子。この歯車は、東京都の都旗と同じらしい。東京都の都旗が制定されたのが、明治22年。この像の製造は明治44年とのことなので、なるほど辻褄があう?
この日は、家に一旦戻る。家まで半蔵門線を使い30分もかからなかった。この日は、11.59km。13,719歩で止め。