お久しぶりです。本日、散歩納をしまして、栃木駅を超え、合戦場まで到着しました。
前回に引き続き、越谷からのダイジェストをお送りします。
4日目 – 越谷駅から春日部まで 〜まだ都会?
6月16日。時間は13時ごろ天気は曇りと予想されていたが、日差しが強く歩いていると汗がじわじわでるような気候だった。
スマートフォンで配信される天気予報はなかなか当たらない。最高気温としては25度はいっていたと思う。
まだ、自宅からは1時間程度なので、ゆっくりと昼から歩き始めることとした。
元荒川です。元々、荒川本流だったが、江戸時代に伊奈忠次が行った事業により、熊谷市で荒川が締め切られたため
結果として本流から離れたもの。荒川を知ろうより
まだ栃木県には着いていないが、栃木銀行があった。
2時間ほど、国道4号線を歩くと春日部市入り。
まだまだ、東京圏内は顕在で、3km くらいの間隔でコンビニに会うことができるのが嬉しい。
便利屋の看板が、すごく立体的だった。そして、この建物は昔ガソリンスタンドだったのだろう。
この日は歩き始めて3時間ほどで春日部駅に到着。
JRの駅も同じ場所なので、駅は大変賑わっていた。
19,139歩。16.67km。(平井から60.55km, 71,843歩) 熱いのでバテてしまい、そもそも遅い時間で出発なので、この日はここで止めた。
5日目 – 春日部駅から古河駅 〜昔ながらな街がちょくちょく出だす
前回からおおよそ1ヶ月後の7月16日。天気はちょうどよく曇り。
とは言え、明らかに1ヶ月前よりは暑かったため、水分補給などに気を使う1日となった。
春日部駅東口より出発。時刻は9:30。いいスタートだ。
この日は、事前調査では、因縁の「利根川超え」が待っている。利根川に関しては、仙台までの歩き旅で
「想像していたよりずっと長い」という苦しみを味わい、自分の中でトラウマとなっている。
心してかかる。
日光街道の4番目の宿街である、春日部は、江戸の元禄期は「粕壁」と表記されていたようだ。
昔ながらな町並みが続く。
そもそも、ここの住所は、「春日部」ではなく、「粕壁」である。春日部市の粕壁。
これはかなりややこしい。
南北朝時代(14世紀)、新田義貞の家臣春日部氏が当地を領地としたことから「春日部」の地名が生まれたとされる。
— 粕壁宿
とあるので、春日部としてもよかったと思うのだが、なぜ統一しなかったのかは謎である。
彩の国さいたま
東武動物公園駅というと、半蔵門線のアナウンスとかでよく流れているが、ここが東武動物公園のようだ。
自分は、ここに動物園があると思っていたが、残念ながらここには動物園の姿はなく、
ここから600mほど歩くか (10分)、バスを使う必要があるようだ。
夏の徒歩の楽しみ。祭りとの遭遇である。東武動物公園駅は、動物公園のための駅のように感じていたが
日光街道5番目の宿、杉戸宿の街へアクセスするために使うのも便利そうだ。
祭りは夜からのようで、昼はまだ絶賛準備中のようだった。
祭りの準備を横目に、杉戸宿の愛宕神社で安全祈願。
2時間30分ほどの歩行で、幸手市へ到達。
自分はここに来るまで、「サイワイテ」と読んでいたが、「サッテ」である。
6番目の宿の幸手宿まではそう遠くないだろう。
幸手宿は、御成街道との合流地点でもあり、川口のほうをといってここに合流するとのこと。
幸手宿の様子。古い建物を階層したカフェのようだ。
幸手宿は、アニメの舞台にもなっているようで、ところどころそれを推した店が散見される。
色あせたフラッグから見ると、結構昔なのかな?
この先は、利根川である。徳川将軍は日光東照宮へ参拝に向かったそうだが、利根川由来の水害がよく発生していたため
幕府は念には入れ、別のルートも用意していたようだ。それが、日光御廻り道と呼ばれるものとのことだ。「お廻り道を」いく
因縁の利根川である。そもそも利根川の橋のたもとに行くのに相当な時間がかかる。
越える。前回に比べると準備がしっかりしているので、死にそうにはなっていない。
天気も、ほどよく曇っていてちょうどよい。
そして、一瞬茨城県に入る。
JR宇都宮線の古河駅である。今まで、東武沿いを進んでいたが、仙台旅のようにJR沿いに一旦来てみた。
東武の新古河駅に向かってもよかったのだが、これは事前調査によって決めていたことで、おもに理由は2つあった。
- この日は35kmほど歩いており、新古河駅に向かってしまうと +5km となりかなり負担になる。
- 一応、古河までは日光街道通りに進んでおきたかった。(古河は9番目の宿)
- 新古河駅付近、何もなさそう。
ということで、5日目は、34.06km(41,888歩) 歩き、平井から94.61km (113,731歩) となった。
長くなったので、続く。